● 心と体に重くひどい疲れが

 私は以前就職していました。自分の能力以上の仕事がどんどん増えていく中で、自分なりに精いっぱいやろうと思って、休憩時間も昼休みも取らず仕事に励んでいました。職場の周りの方は皆、仕事ができる人が揃っていたのですが、私は仕事の段取りが悪く、夜遅くまで残業しても仕事をこなす量では、5時に帰るアルバイトの人よりも少なかったのです。そして今まで何とかフォローと、いろいろ支えてくださった職場の上司と同僚が異動で別の部門に移り、新しい人間関係の中で、私は上手くやっていけず、心と体に重くひどい疲れを感じるようになりました。


● 現実と夢の逆転

だんだん自分とこの職場の現実感が無くなって行き、やがてふとんから起きて働いている職場は夢の世界であり、ふとんに入って寝ている時に見る夢が現実の世界なんだと思うようになるくらい、私の意識と心の状態は悪化していきました。夢の世界になっても職場は何としても行かなければと思い、それだけが心のある支えになっていました。

 しかし、ついに私は職場で倒れ、救急車で運ばれ、翌日から職場に行くという心のエネルギーはゼロになり、病休で休みを取ることになりました。3カ月休んでまた復職しましたが、今度は私が新しい部門へ異動ということになり、復職してから1カ月半で、私はカウンセリングの病院で再び倒れ、今度は休職して実家へ戻り、結局3年間職場を休むことになりました。

 休職してから2年くらいは、1日中寝て過ごすようになりました。心の安定剤も1回に4〜5粒を服用し、1日3回飲んでいたので、1日のほとんどはただ寝ていることしかできませんでした。


● 教会に導かれ 「自分はここにいていいんだ」

そのような状況が許される中で、母がクリスチャンとなり、主の十字架の聖会、教会に導かれていきました。私の心の病のことで、牧師夫妻や教会の方々にアドバイスを受けたり、とりなしをお願いして祈ってくださる中で、私も情緒不安定ながら福島の聖会に足を運ぶようになりました。意識はもうろうとしていましたが、集会の後のコーヒーとお菓子がおいしく感じ、教会に来ると何かホッとする、自分はここにいてもいいんだなという気分があり、集会に楽しみやうれしさを少しずつ感じるようになりました。

 そして集会の後に牧師さんに救いの祈りを導いてもらいました。「自分の罪のためにイエス・キリストが身代わりとなってくださった。そのイエスさまを信じるなら永遠のいのちが与えられ、病気もイエス・キリストの十字架によっていやされる。また、イエスさまは私たちを愛しているよ」ということを教会で繰り返し教えてもらいました。私は心の病を「神さまに治してもらいたい」「イエスさま助けてください」と思うようになりました。そして牧師のアドバイスによって福島から仙台の教会に移ることが導かれました。

● 仙台に導かれ
 仙台の教会で、私は洗礼の恵みにあずかることができました。イエスさまを救い主と信じ、教会の方々の前と神の前で信仰告白することができました。また、洗礼を受けた年の4月から教会の神学校にも入ることが導かれました。

 神学校に通う時には、実家の白石から仙台まで片道一時間半の車の運転も大分楽にできるようになりました。心の病は教会に通う中で、少しずつ少しずつ回復していきました。

 良くなっていく中で何回か以前の悪い症状が出ることも許されて、教会に通えないときもありましたが、教会の方々が、いやしと教会にこられるように継続的に祈ってくださったので、そのたび教会に通い始めることができました。


● 神に仕え、 教会に仕える中で
そして私は徐々に教会の中で多くの奉仕が与えられていきました。OHP、賛美のコーラス、賛美リーダー、祈祷会の導き手、司会など奉仕の中で神に仕え、教会に仕えていく中で、現実感の無さとか、現実と夢の逆転の症状から解放されていきました。心のエネルギーもだんだんと与えられ、心と体に重くひどく感じた疲れも教会の中でいやされていきました。心の病のまだ症状が残っている部分もありますが、この症状もとても少なくなってきています。

 さらに今年の3月、東北カリスマ聖会で、伝道師補としての按手を受けることになり、主の働きにさらに一段と加わることになりました。この聖会で、按手を受ける前に、教会につながってから心の病がいやされたことを聖会に来られた方々に証しすることができました。今回の証しを通して、イエスさまの十字架の救いといやしの栄光をお帰しできてうれしく思います。

「…キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたはいやされたのです」ペテロの手紙第一2章24節・「教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです」エペソ人への手紙1章23節

(仙台 ヨシュア原田)

み声新聞306号より抜粋−
   教会では病気が治るようにお祈りいたします。ご遠慮なく、教会にお越しください。

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