主日礼拝メッセージ エペソ 1:5~10 |
パウロ秋元牧師 |
2010年 1月 3日 |
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エペソ 1:5~10 6節で、「恵みの栄光」と言っています。私達クリスチャンは神様の恵みによって生きているのです。私達は誰一人神様の前に出るのにふさわしくありません。しかし、イエス様の十字架によって私たちの罪が赦されました。ですから、私たちは恵みによって主の前に出て行くことができます。恵みはふさわしくない者に与えられているのです。 そして、恵みにあつかましい人、つまり、「私はふさわしくないけれど、神様は私に最善の人生を与えて下さる。」と言う人が、実は恵みを受けるのです。ですから、皆さん、恵みに貪欲になって下さい。神様は恵みの神なのです。 また、もう一つのことが書いてあります。それは、12節の「キリストに望みを置いていた私たちが、…」ということです。この「望み」という言葉は強い言葉で、「希望」とは違う意味合いがあります。Ⅰコリント15:19には、「キリストに単なる希望を置いているだけならば、私達は、…一番哀れな者です。」と書いてあります。ここは復活のことについて言っていますが、言い換えれば、問題がある時に、「神様はもしかしたら助けてくれるかもしれないな。」と言ったら単なる「希望」なのです。「望み」というのは、「私はこの事柄に関して神様に頼っている。だから、神様は必ずこのことを解決してくださる。」と言うことです。それは皆さんの思う通りになるということではなくて、神様の最善がなるということです。この時に「望み」は強いのです。「神様は本当に御言葉をなしてくださる。私は、問題があるけれど、今、感謝している。そして、神様に従っている。だから、この後ろの神のすばらしい計画が出てくる。そして、すべてが益となる。神様は必ずこのことをなしてくださる。」と言うことです。 皆さんが、今、許されている問題は意味のあることです。それを通して成長していくのです。それを通して神様が働いてくださいます。その証しが主の栄光となり、また、多くの人々を強めるのです。 |
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