主日礼拝メッセージ ルカの福音書 14章 25~27節 |
パウロ秋元牧師 |
2010年 2月 28日 |
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ルカの福音書 14章 25~27節 ここでイエス様は群集に弟子になる道ということを言っています。弟子の道と言いますとある方はこう思うわけです。「厳しく大変な道、面白くない道で、群集の道は気楽で楽しいことが沢山出来る生活だろう。」と。ところがこれは違うのです。私は献身して弟子になりたいと思ったときに自分の人生は終わったと思っていました。ところがここに入ってみてとんでもないって事に気がつきました。この中にこそ生き生きとした神の祝福と栄光と業が現れているということを私は見てきたのです。祝福は群衆でも弟子でもありますが、本当の祝福は弟子の中にあるのです。そしてその条件が出ています。もちろん聖められているとか、しっかりしているとかそういうことは重要でしょう。しかし中心の条件は違うということに気が付きます。それは何かといいますと26節に「にくむ」とあります。これはヘブル的な表現では「にくむ」というのは一番目に愛する者があって、二番目以降のときにそういう表現を使います。ですから「神様を第一に愛する」。ということをここでは言っています。これが弟子の条件です。そして言葉というのはその表現とも大きな関係があります。ここで「にくむ」という表現を使っています。これは「私よりもどちらかといえば神様が好きかな。」というこういう感じではありません。「にくむ」というのは強い意味での神様を第一とするということなので、「私は神様を第一にする!」これです。これが弟子となる条件であるということを覚えてください。そして私達が主に従い始めますと、何か神様に渡さないといけません。人生を委ねるとか、あるいは大事なことを渡すとか。ところが私はそうすると無くなると思っていました。もっと良いものが来るとは思っていませんでした。私達は不信仰だから神様が与えてくださる人生を最善と思わないのです。渡すときに自分の持っているものが最善だと思います。しかし与えて下さったものに比べたらそれらは塵、あくたのようでした。パウロも言っています。これはそういうふうに思えと言っているのではありません。彼の経験から来る実感です。そして私は分かります。ここに素晴らしいものがある。ですから私達が弟子の道を歩むときに最善な祝福を見るということを覚えておいてください。 |
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