主日礼拝メッセージ マルコ 11:22~24

パウロ秋元牧師

2010年 3月 21日


 マルコ 11:22~24 

 クリスチャン生活の祝福は信仰がポイントとなっています。
信仰がないと神様の働きを見ることはできませ ん。ある方は、私は疑ってばかりいるから信仰がないと言います。
しかしマタイ17章20,21節では、薄い信仰と、からし 種の信仰とがあり、薄いとは弱いことの象徴、からし種は小さいことの象徴で、種類の違いを言っています。からし種は最も小さい信仰を 表しますが、山が動くと言っています。皆さんが薄い信仰なのか、からし種の信仰なのかは皆さんの歩みの中でわかってきます。皆 さんの人生や最近の生活の中に、主の生きて働かれるわざや導きの手、奇跡の手などがあるかどうかといことです。いろいろな問題、困 難があるけど神の手は何もないという方は薄いのです。では何がポイントになってくるかというと、からし種の信仰とは何を意味するのか といことです。
マタイ21章21,22節、「信仰を持ち、疑うことがなければ」とあります。多くの方は自分は疑うからだめだと言いま す。でも間違えないで下さい。疑うことは正常なしるしです。アブラハムはローマ4章で疑わなかったとありますが、創世記を 見ると疑ったとあります。つまり疑ったのですが、ある信仰の状況を疑わなかったということです。
マルコ11章22~24節では、「祈っ て求めるものは何でもすでに受けたと信じなさい」とあり、この前提は受けていないのですが、受けたと信じるということです。祈っ て求めるものは何でもというのは、他の聖句では「御心にかなう祈りで祈ったことは何でも」とあり、御心にかなうことは受けたと信じる ならそうなるのです。そして受けたと信じることがからし種の信仰で、疑わない状況であることです。
では受けたと信じるとい うのはどういうふうに対応を取っていったらいいかというと、告白は信仰になるので注意して下さい。
息子が脳障がいで生まれた時も神が 癒すか、癒されない形で神の栄光が現わされるかのどちらかなので心配はしませんでした。今は脳障がいであったことのマイナ スは何一つありません。「神に従い、全てを感謝するなら、神が全てを益として下さる」のです。
神様にとって皆さんの問題の解決くらい チョロイのです。主は信仰を使うということを語っています。
不可能な問題がひっくり返ります。これは御心のことは受けたと 信じることがポイントであることをどうぞ覚えて下さい。

 



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