主日礼拝メッセージ 1テサロニケ 5:16-18

パウロ秋元牧師

2010年 5月 2日


 1テサロニケ 5:16-18 

 先日から連続して語っていますからし種の信仰から見ていきたいと思います。からし種の信仰は何かというと御心ならば受けたと信じる信仰です。からし種の信仰に対するのは薄い信仰です。これは心配と恐れで特徴づけられます。神様がいることを前提に見ていないのです。私達は気をつけて、意図的に信仰を用いていかなければなりません。

 最初に16節に、「いつも喜んでいなさい。」と書いてあります。いつも喜んでいることは私達にはできません。実は信仰なのです。どうして喜べるのかと言うと、神様がいらっしゃるからです。そして、御言葉の中に問題や困難の解決があるからです。私達はいろいろな問題に対して神様の栄光を見ることができます。ですから、皆さんが悲しい時も、苦しい時も喜んでいるのです。神様は全てを益として下さいます。そのことを体で現すのです。これは信仰なのです。

さらに、「絶えず祈りなさい。」(17節)と言っています。祈りは私達の願いですから、心の願いを祈るのです。祈りがあることとないことは大きく違います。私は祈ることによっていかに大きな助けと恵みを受けたかしれません。しかし、祈る時にひとつポイントがあります。皆さんの望みが成就するかどうかは分かりません。それが最善だったら成就します。しかし、最善でなかったら成就しません。神様は最善をなされます。からし種の信仰を使ったら、御心の時、主の最善を受けるのです。祈りは神の手を動かしますから、ここに大きな力があります。

 そして、「すべてのことについて、感謝しなさい。」(18節)と言っています。私達は神様を信じて人生が変わりますが、それは永遠のいのちが与えられるということです。でも、本当に人生が変わるのは御言葉に立った時からです。感謝に関しても受けたという信仰が重要です。問題や困難が許された時、「神様はこの中ですばらしいわざを行って下さいます。私はそれを今、見ていませんが、これから見ます。ですから、今、私は神様をあがめます。」と言うのです。

受けたという信仰、からし種の信仰を使うことは大きな意味合いがあるということをどうぞ覚えておいてください。


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