主日礼拝メッセージ ルカ 12:28-31 |
パウロ秋元牧師 |
2010年 5月 30日 |
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ルカ 12:28-31 この時、弟子たちは心配していたのです。22節。信仰が薄い時に私たちは神の働きをみません。信仰が薄くなっている一つのしるしは「心配」です。心配し恐れるのです。もう一つ、それは人のことを思い神のことを思わない。これが信仰が薄い特徴なのです。 それに対してキリストはポイントをおっしゃっています。31節。神の国を求めるならば、神の計画を求めるならば支えてくださると、そしてこの時、弟子たちに「約束に信頼する」ことを提示しているのです。約束を中心として私たちが信仰の対応をとるなら、神のわざ、栄光を見ていきます。信仰とは神のことばに立つことです。いろいろな問題に対して神の解決を受けるときに、神さまのことばを受けてください。示されていなければ探して、適応できることばに立つのです。約束のことば、示されたことばを中心に対応するということが、非常に重要な意味合いを持ちます。 それとともに、「からし種の信仰」ということを先日学びましたが、神のことばを受けるとともに「受けた」と信じることが重要です。神のことばを中心にする、信頼するということは、意図的にやらないとダメなのです。意図的に立って、「受けた」と信じるならば、そのとおりになるとありますから信じて行くのです。 具体的にこのことがらをなす時に何が必要かというと、まず決心です。「私は信仰の対応をとるぞ!」という決心であり、神のことばを中心に私たちはその対応をとるのです。 しかし、信仰の対応をとった一分後に「できない」ということが起きてきます。「できない」で良いのです。「できなかったら」出来ないことをちゃんと認め、「祈る」のです。 ただ、問題はその祈りをしているときに、それを求めていないという時があります。神さまは私たちの願望に答えてくださいます。祈りが聞かれる秘訣は、願望があってのことばです。自分が従いたいと思っていない時、「私は従いたいと思っていません。どうぞゆるして下さい。従いたいと思うように、信仰の歩みをしたいと願うようにしてください。」と祈るのです。これはみこころの祈りだから答えて下さいます。願望が与えられて、祈って行くのです。祈りが必要なのです。 信仰が薄いというのは、心配や恐れ、人のことを思うことを中心に神さまを見ることですが、信仰というのは、神のことばを中心に神さまに従うことなのです。神のことばによって歩む時に、主はわざをなされるのです。このとき、決心と祈りが必要であるということを、覚えておいてください。 |
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