主日礼拝メッセージ 士師記6:11~16 |
パウロ秋元牧師 |
2010年 6月 6日 |
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士師記6:11~16 この時、ギデオンの豹変が起こります。ギデオンは非常に憶病でした。勢力をもっていたミデヤン人を恐れ、酒ぶねの中で隠れて麦を打っていました。この時のギデオンの気持ちは心配、恐れです。これが問題です。これを中心にしてしまうと、信仰的に言うならば薄い信仰です。この時、神のわざが現れないのです。ギデオンは信じていなかった(13節)ので、心配し、恐れていてよわよわしい状況でした(15節)。 でも、この後、ギデオンは逆になったのです。神様は一つのポイントを置きました。心配、恐れ中心のギデオンに対して、神様は神の言葉を語られたのです(12節、14節、16節)。これがポイントです。信仰とは神の言葉を信じ、神の言葉に立つことです。 皆さんが心配や恐れに対応する時に当然祈ると思います。でも、祈りはまだ幼稚園の段階です。それではどうするのかというと、神の約束の言葉、解決の言葉を求めるのです。その言葉を土台として対応することは大きな意味をもちます。 ギデオンはこの時、神の言葉を受けたのです。神様は言葉を与えることを通してギデオンを変えたのです。また、この時、ギデオンは確認をとっています。そして、135,000人のミデヤン人に32,000人で立ち向かったのです。ところが、神様は10,000人に、そして、300人により分け、最終的には450対1で戦い、勝ったのです。これは人の力ではありません。神のわざが起こりました。ギデオンが酒ぶねに隠れていた時と戦った時とそれ程の差はなかったのです。しかし、どうしてこれ程大きな差が出てきたのかと言うと、彼の信仰の対応によるのです。私達の歩みにおいても当然、心配や恐れはあります。しかし、神の言葉を中心に歩む時に、私達を通して大きな神のわざと栄光が現されてくるということをどうぞ覚えておいてください。 |
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