主日礼拝メッセージ 1サムエル記 15章22,23節

パウロ秋元牧師

2010年 6月 27日


 1サムエル記 15章22,23節 

旧約時代は律法によって神の民は歩んだのです。神様との契約、これを守ったら祝福を受けるということです。ですから我々は律法を守って主の祝福を受けるという形でした。しかし律法は不十分であってこれは信仰に至る前段階なのです。新約時代になったときに信仰が現れてきました。これが中心なのです。そしてこの信仰のポイントとは何かと言いますと聞き従うことです。私達は聞き従うことを通して祝福、恵み、勝利を受けていきます。私はかつてこう思ったことがありました。人は経済や能力にどうして差があるのだろう。幸運に生まれた人と不幸に生まれた人とあって、どうして不幸の方に生まれたのか。ところが神を信じ始めて違うということに気がついたのです。神様は信じるものに祝福を与えるのです。ですから皆さん祝福されているのです。イエスキリストの十字架を信じている者は罪の赦しが与えられ永遠の命が与えられ、神との関係があり神の愛を受けているのです。ただご自分の人生に祝福が現れてくるかどうかはまた別問題なのです。ここで信仰の問題が出てきます。これは何かと言いますと、信仰を使うときに祝福が現されるのです。聞き従うということは信仰を使うことです。神の声に聞き従う時に祝福が現されるのです。ですから皆さんの人生における祝福は皆さんの才能やお金ではありません。主に従うかどうかです。そうしますとよく子供達に言われます。「お父さんは特殊だ。普通神の声は聞こえない。」と。しかしこれは特殊ではないのです。私もそう思いましたが、ある時選択することがあって試しに祈ってみました。そのときに示され神様が導きを現されたのです。皆さん祈ってください。主は祈りに答えてくださいます。それは皆さんの人生を更に変えることになり、最善の働きと業が現されます。神の導きは特別なのです。これは原則です。皆さんが直面している問題がいろいろあります。当然我々はこう対応していいと考え判断しますが、しかし神の御心ここにポイントがあるのです。神の御心を行うときに大きな祝福と業がこの中で現されてくるということを覚えておいてください。

 


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