■ はじめに

 「私にはお母さんがいない」。そう言うと、誰もがかわいそうねという目で私を見る。私自身もそうだと思っていた。でも、今は違う。

  私はボーンアゲイン(新生)したクリスチャン。神さまがひとりひとりに与えたいのちを大切にして、生きてほしい! そんな私のモットーは、どんな状況の中でも希望を見出すこと。私自身のモットーであり、患者さんへのメッセージでもある。いつもこれを頭に入れて、患者さんと接し看護していきたいと思っている。

  神さまが与えたいのちを最大限に生かすために、医療は欠かせない。人生の長さは、医療者が決めるわけではない。患者さん自身でもない。神さまがその人に与えた人生を全うすること、これしかないのだ。

  今の私の人生には、何があろうともどんな問題が起きようとも、主がともにいてくださる。この喜びを病んでいる患者さんひとりひとりに伝えていきたいと願っている。


■ 母の死 神さまはなぜ?

  ひとりひとりのいのちは神さまが計画し、造られたものです。私は主イエスキリストによって造り変えられた、ボーンアゲインしたクリスチャンです。神さまと出会う前とは考え方がまったく違うのです。少し、紹介させていただきます。

  高校3年生、受験まであと少しという時、私の母は原因不明の頭蓋内圧亢進による脳ヘルニアを起こし召天しました。頭が痛いと言って入院し、2週間後には脳死して亡くなったのです。入院する直前まで、元気いっぱいだった私のだいすきなお母さんでした。また、イエス・キリストを愛し、どこまでもついていくお母さんでした。

  そんなお母さんがなぜこんなに早く死んでしまったのか、私は理解に苦しみました。いろいろな理由を考えました。当時、反抗期だった私に世話を焼きすぎたのか、過度にストレスがたまっていたのか、それともただの偶然に過ぎないのか…。考えても、考えても答えが出るはずがありませんでした。

  腑に落ちないまま私は看護大学を受験し、長崎の地までやってきました。クリスチャンとして日曜日は教会に通っていたのですが、だんだん教会に行くのがしんどくなってきました。神さまが本当にいるのか分からなくなったのです。神さまがいるなら、なぜお母さんを助けてくれなかったのか、分からなくなったのです。

  ただ、お母さんが生前に言っていた言葉、「礼拝には行きなさい。寝ていたっていいんだから、礼拝には行きなさい」、こんな言葉を思い出して、何も分からないまま教会へ通っていました。


教会キャンプでの 主のことば

  その年の夏、教会のサマーキャンプというのがありました。まったく行く気はなかったのですが、教会に通っていたので参加することになってしまいました。

  その場所で奇跡は起こりました。聖会の中で預言のことばが語られたのです。

  「子よ、安心しなさい。今まで悩み続けてきた者、安心しなさい。あなたの母の祈りは天に届けられています。あなたにある豊かな計画を明らかにしていこう。私のところに来なさい…」。

  ある牧師を通して語られたこのことばが、牧師の考えではなく、神さまから私へのことばだとはっきり分かりました。私がどんなに考えても出てこなかった答えがそこにあったのです。うれしくて、うれしくて、涙が止まりませんでした。そして、その時に分かりました。お母さんの死も神さまの計画のうちであったのです。


与えられた 命いっぱい生きること

  実は、お母さんはとても苦しんだ人でした。神を愛するが故にクリスチャンでなかったお父さんと離婚せざるを得ませんでした。

  そんなお母さんには祈りがありました。離れていた家族がひとつになること、それだけがお母さんの一番の祈りだったのです。

  …私は思い出しました。お母さんが病を患い入院してからのことです。脳死という特別な状況が約2週間続いていました。その間、離婚していたお父さんをはじめ、家族がひとつとなって看病をしに来たのです。

  お父さんは、お母さんへの結婚指輪を買ってお見舞いに来ました。それは私が生まれて初めて見た、お父さんがお母さんにやさしく接する姿でもありました。

  神さまはお母さんの祈りを聞き届け、人生の苦しさを通り抜けて、幸せな最期と最高のプレゼントである天国を用意してくださったのです。そう気づいて、私の考え方は一変しました。

  私のお母さんは50歳で亡くなりました。平均寿命が84歳を超えている日本では、若すぎる死でしょう。しかし、神さまの目から見れば、最高の最善の人生だったのです。どんなに短くても長くても、神さまがその人にいのちを与えておられる期間、命いっぱい生きること、それが人生なのだと私は思います。


■ 看護 希望を見出す助けとして

  前置きが長くなりましたが、こんな私の看護は、どんな状況であれ希望を見いだすことができるよう援助して行くことがモットーです。私が神さまからいただいた使命、人々に生きる希望を伝えていくこと。それは、大好きだったお母さんが亡くなり、「生きる意味」なんて頭の片隅にもなかった私自身を神さまが造り変えてくださったからです。

  母が亡くなった分、仕送りはないのでアルバイトと奨学金でやりくりしています。それまでは、お母さんがいればこんなことにはならなかったのに…と、くよくよつぶやいていました。でも今は違います。1つ1つの問題も「これは神さまからの試練なんだ。何とかしなくっちゃ。神さまがいるんだから、大丈夫」と希望をもって踏み出していけるのです。

  私は看護とは「希望を見出す援助をすること」だと思っています。医学がどんなに進んでも、人が永遠に生きるということはありえません。であったなら、神がその人に与えた人生を命いっぱい生きること、生きるにしても死ぬにしてもそこに希望を見出すこと、その援助をしていくのが看護師としての私の使命だと思っています。


■ 命をいのちとして扱う看護を

  神を知った時、私にとって死はもはや死ではなくなりました。神さまが天国を与えてくださるその日まで、できる限り有意義に命いっぱい生きるのです。私にとって、曇っていたその先の人生は一変して光に照らされました。そう知った時の喜びは何にも代えられません。

  明日が希望になる生き方をするために看護師としてすべきと思っていることがいくつもあります。お母さんの入院時に思ったことも含めてです。当たり前のようですが、命をいのちとして扱うことです。

  お母さんは脳死という状態で入院生活を送りました。脳死についてはそれを人の死と見なすかどうか、論議されるところです。でも、私たちの家族の場合、はじめて家族がひとつとなり、お母さんの寝ているベッドに集まって看病しました。できる限りのことをしてあげようと家族全員がお母さんに一生懸命でした。その時間は私たち家族にとって、大切な必要な時間となりました。

  しかし、そんな私たちへの看護師の対応はさまざまでした。ある看護師は何も言わず、点滴の滴数や反応を確認して去っていきました。ある看護師は、私たちが個室でかけていた賛美歌をうるさいからといって聞こえないくらい小さな音にして去っていきました。血液の混じった排痰はなんの説明もなくそのまま置いてありました。尿量について聞くと「500あれば保つんじゃないですか」とそっけない返事が返ってきました。

  看護学生になった今なら、私にもできることがあります。でも、あのころは、頭蓋にドレナージ(閉じられた腔にたまった滲出液・膿・血液などを排出すること)をしたままのお母さんに何をしてあげられるのか、手を触れていいのかさえ、分かりませんでした。忙しそうな看護師さんに聞くことさえ禁じられているような気になっていました。

  看護師さんたちに対して「何か違うんじゃないかな」、そんな思いが残りました。そんなふうに思っても何も尋ねることもできずにいました。

  私は、そんな看護の実際をなくしたいです。看護しているかぎり、どんな人も生きている人として扱ってほしいのです。そうすることで、神さまがその人に与えた人生をこれでよかったと納得して最期を迎えられると思っています。その人にとっても、その家族にとっても納得して迎えられるようにしたいのです。

  そこには神さまの愛が必要です。誰にも見向きもされず、十字架にかけられてまで私たちを愛してくださっているイエス・キリストの愛が必要なのです。


■ 神に愛されている最高の存在

  看護師の方々から見たら、脳死した私のお母さんは体温だけを維持している個体だったかもしれない。ただの看護の対象物に見えていたのかもしれない。でも、本当は、その看護師さんたちと同じように、神さまに愛されているひとりの存在だったのです。

  どんな疾患に罹患(りかん)しているにせよ、どんな障害を持って生まれたにせよ、神さまがそれをよしとされて生まれた、神に愛されている存在なのです。私はそのことを伝えていきたいと願っています。

  医療が発達して人々は命の長さを自由に扱えるかのように、なっています。少なくとも日本の平均寿命は延長し、人は長生きできるようになりました。でも、神さまがその人だけに与えた人生を他の人と比べる必要なんてありません。その人生を神さまがくれた最高のものだと受け取って、どんな状況にあっても投げ出さないで最後まで生きてほしい。絶望の中でさえ、希望を見出してほしい。看護者として、私はそのための援助をしていきたいです。

  「神さまがその人にいのちを与えた」。それは偶然ではなく、ひとりひとりが神さまに愛された存在であることを意味します。どんな状況にあっても、神さまが与えたいのちを最大限に生きてほしい。

  医療は神さまの計画がなるための一助であると考えます。だから、神さまの計画がなり、人々が希望を見出せるように医療をしていくべきと私は考えるのです。



私は長崎にある大学の看護学科3年生です。

写真:クリスチャン医師として著名な聖路加看護大学の日野原重明名誉学長
(聖路加国際病院名誉院長・理事長)と筆者(左)


  2006年1月15日、東京の某私立看護大学で開催された「第13回HAS看護学生弁論大会」に参加しました。この大会への応募は全国の看護学生38名。その中で選考された6名が出場し、会場にいた医療界で著名なゲスト3名と約200名の看護学生や一般の方々の投票によって最優秀賞に選ばれました。

  大会終了後も、現役の看護師さんから、「今、仕事をしていて悩みがたくさんあるんですが、クリスチャンになったらそういうのはなくなりますか?」とか「あなたの考えをもっと聞かせてください」と言われ、私の体験してきた神さまの証しをすることができました。

  さらに、大学でも「最優秀賞とったんだって?! その話を聞かせてほしい!」とたくさんの友だちや知り合いから声をかけていただき、証しする機会が与えられています。

  弁論大会の原稿を書いたのは夏休みのこと。長崎で行われたヤングキャンプに今年も参加しました。キャンプで大宣教命令が語られ「神さまのことを何とかしてもっと伝えたい!」と強く思ったんです。キャンプが終わってから大学に行くと弁論大会のポスターが張ってあり、神さまの導きを感じて原稿を書きました。

  この証しを通して、少しでも多くの方々にイエス・キリストの愛が伝わることをお祈りします。
  私がヤングキャンプに参加し神さまに救われたのも、このような賞を頂けたのも、教会の方々の熱い祈りがあったことを覚えます。心から感謝し、すべての栄光を主にお返しいたします。

主の十字架クリスチャンセンター神のしもべ長崎教会員 今井志生子

 

み声新聞 362・363号より抜粋−

   教会では病のためにお祈りいたします。教会にお越しください。

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