私が今、通っている教会に出会ったのは、渉(わたる)くんの家です。

渉くん(現在は10歳で、出会ったときは、重度のダウン症で、何度も死の淵に立たされていました)は私の生徒でした。養護学校の教員で訪問学級を担任していたので、渉くんの家に行き、授業をしていたのです。

ある時、お母さんから「私、クリスチャンなんよ」と聞かされ、家のラジカセからは教会の礼拝テープが流されるようになりました。

キリスト教と言えば、厳かな賛美歌というイメージを持っていたのですが、テープから流れる歌声は、ギターの演奏で手拍子もあり明るいものでした。フォークソングのような歌謡曲のような感じがし、歌詞の意味は分かりませんでしたが、覚えて歌えるようになってきました。

この頃、テープの曲に合わせて、渉くんがごろごろ寝返りしながら大きな声を出し歌っている様子がよく見られました。たまに大きな声が出ることはありましたが、歌に合わせて声を出している、歌っていることに驚きました。好きな歌なら声が出るんだということが分かり、感激し、授業が終わっても、時間があるときは、テープをかけて、一緒に歌うようになりました。

この時は、歌に力があることは分からず、渉くんに好きな歌を歌って元気になってもらおうと思っていたのでした。神に対して鈍感な私でしたので、その時に渉くんにいやしの業が行われていることに気付きもしなかったのです(後に、渉くんの上に急激ないやしが行われることを何度も見ました)。

それでも、「この歌はいいぞ」と思っていました。そのうち、渉くんの家で集会が開かれるようになりました。たまたま授業日と重なった集会の時、牧師たちと出会い、キリスト教の話を聞き、天国へ行けますよということにひかれて信仰告白しました。

しかし、まだ教会とつながる気持ちはないまま、別の学校へ転勤となりました。ところが、転勤先の職場では悩むことが増え、苦しむことが多くなりました。担任からはずれた後でしたが、渉くんのおかげで、渉くんの洗礼式や誕生日伝道集会、カリスマ聖会などに誘われ、細々ですが、教会に顔を出していました。

教会で、苦しみから救われたいという思いで話をし、神様の言葉を頂くうちに、だんだんと聖書の学習をしてみよう、神様をもっと知って信じたいという気持ちになり、03年1月14日洗礼へと導かれました。
今は、教会で、渉くんと讃美の歌を大きな声で歌っています。

み声新聞より

 

戻る