主がお入り用なのです

 思春期の頃、この世代の多くの者に特有な孤独が、私にもありました。自分は何のために産まれてきたのだろうか。本当に自分のことを必要してくれる誰かが居るのだろうか。自分にしか出来ない仕事をしたい、等々自分を確かめるような疑問が次々と湧いてきました。

  こうした、私の自分探しの旅は、最終的にはイエス・キリストのもとにまで行き着きました。聖書の言葉を通して、神は次ぎのように語って下さいました。

  私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。

  イエス・キリストが、私を捕らえて下さったゆえに、私は幸いにも、自分がかけがえのない1人で、私にしか出来ない働きをこなしてゆくのだということを確信することが出来ました。

  最近、教会を通して神は、何度も、「主がお入用なのです。」という言葉を語って下さっています。

  私たちの目に自分は価値なく思えても、神はかけがえのない1人として私たちを造って下さいました。

  イエスのもとに行きましょう。イエスはあなたを愛し、かけがえのないあなたをお入用だと求めておられます。

イスラエル北野

み声新聞2004年5月23日号(262号)」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)