パッション

 今、流行の「パッション」という映画を観に行ってきました。

  一人の男、その名は、イエス・キリストといいますが、彼が受けた受難の大きさとむごさが、全編を通して描かれています。

  咎なくて受けるムチ、裂ける肉体、流れる血潮、なぜここまで、あの人は苦しまなければならなかったのでしょうか。

  聖書には次の様に書かれています。

  彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。

  イエス・キリストの受難は、私や皆さんのために味われたものだと言っているのです。

  クリスチャンは多くの特権を神から受けます。犯してきた、また犯すであろう現在過去未来の全ての罪がゆるされ、神の子とされること。また病がいやされること。これら全てのことは、たやすく与えられるものではありません。イエス・キリストが味われた苦しみを引き換えとして、与えられたものなのです。

  イエス・キリストは、十字架で亡くなられることで、私たちに救いの道を開いて下さいました。あなたが救われるために、キリストは、受難を通して苦しみを味わってくださいました。ですからあなたもまた、イエス・キリストの十字架のあがないを信じて、永遠の命を頂き、神の子として生きようではありませんか。

イスラエル北野

み声新聞2004年6月6日号(264号)」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)