支払われた代価

 彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。という聖書の1節があります。彼とは、イエス・キリストです。

  映画「パッション」において、キリストが鞭打たれ、血を流される場面が、非常に長く流されていますが、これは意味のある事柄なのです。

  聖書のある箇所では、「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。」とある様に、イエス・キリストは、私たちが救われるために、あるいは、癒されるために、十字架という代価を支払ってくださいました。

  罪人が、自分で牢獄から出ることは出来ません。しかし、誰かが保釈金を払い、罪を贖う代価を払うなら、そこから自由の身になることが出来ます。十字架とは、その贖いの代金なのです。私たちは十字架によってサタンの支配から、解かれ、自由人となり神の子となることが出来るのです。

  同じ様に、イエス・キリストの打ち傷は、私たちが病やわずらいから癒されるために与えられた贖いしろです。イエスが打ち傷を負って下さったのは、私たちが癒されるためです。キリストの打ち傷をおもって下さい。神の癒しがやってきます。

イスラエル北野

み声新聞2004年6月13日号(265号)」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)