神の奴隷 |
キリストを信じる前は、罪に関して無自覚でした。皆と自分は大差ない、特に罪を犯した覚えもない、そう考えていたのです。 聖書にも説明されていますが、罪は律法のある所に生じるのです。○○をしてはいけない、という法のようなものがあって初めて、自分はそれを遵守できないと知るようになるのです。 聖書はその姿を罪の奴隷という言葉で言い表しています。本当に善を行なおうとしている人は、自分には善を行なう力がないことを思い知っているものです。そして、自分に絶望しきっていることでしょう。 しかし、この絶望は、あなたをイエス・キリストに導くよきものとして取り扱われます。イエス・キリストを信じる者は、罪の奴隷から神の奴隷へと、主権が移り変わっているのです。 神に感謝すべきことには、あなたがたは、もとは罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの規準に心から服従し、罪から解放されて、義の奴隷となったのです。 聖書にはこの様に書かれています。イエス・キリストの十字架の贖いを信じて神の子となるならば、罪の奴隷も今度は、義の奴隷神の奴隷となります。 聖霊はあなたを導き、聖潔へと進ませ、その行き着く所は永遠の命です。同じ奴隷でも、なんと素晴らしいことでしょう。神の支配におかれた人生の祝福、これが主を信じる者の取り分でもあるのです。 イスラエル北野
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