神の奴隷

 キリストを信じる前は、罪に関して無自覚でした。皆と自分は大差ない、特に罪を犯した覚えもない、そう考えていたのです。

  聖書にも説明されていますが、罪は律法のある所に生じるのです。○○をしてはいけない、という法のようなものがあって初めて、自分はそれを遵守できないと知るようになるのです。

  聖書はその姿を罪の奴隷という言葉で言い表しています。本当に善を行なおうとしている人は、自分には善を行なう力がないことを思い知っているものです。そして、自分に絶望しきっていることでしょう。

  しかし、この絶望は、あなたをイエス・キリストに導くよきものとして取り扱われます。イエス・キリストを信じる者は、罪の奴隷から神の奴隷へと、主権が移り変わっているのです。

  神に感謝すべきことには、あなたがたは、もとは罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの規準に心から服従し、罪から解放されて、義の奴隷となったのです。

  聖書にはこの様に書かれています。イエス・キリストの十字架の贖いを信じて神の子となるならば、罪の奴隷も今度は、義の奴隷神の奴隷となります。

  聖霊はあなたを導き、聖潔へと進ませ、その行き着く所は永遠の命です。同じ奴隷でも、なんと素晴らしいことでしょう。神の支配におかれた人生の祝福、これが主を信じる者の取り分でもあるのです。

イスラエル北野

み声新聞2004年7月4日号(268号)」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)