本当の救い

  初めて牧師さんから福音を聞いた時に、生意気な女子学生であった私は、イエス・キリストは、文化人類学的な要求によって、出てきたストーリーであって、安々と信じられる訳がない、と話しました。

  けれども、聖書には次の様に書かれています。「この人々(クリスチャン)は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」

  救いに関して、私たちは、通常、人の意欲や肉の欲求によって受けとるものと考えているものです。鰯の頭も信心から、といいますから、どんな神でもいい、本人が一生懸命に信心することが尊いのだ、と考えています。これが平均的な日本人の宗教観ともいえるでしょう。

  しかし、救いというのは、イエス・キリストの十字架での苦しみがあって、はじめて与えられる神の恵みの御業です。何を信じても救われるというのは、人の側の勝手な思い込みに過ぎません。

  この方以外には、誰によっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。

  聖書にもこの様に書いてあります。救いはただイエス・キリストによって与えられるものであることを覚えて頂きたいと思います。

イスラエル北野

み声新聞2004年8月1日号(272号)」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)