永遠への誘い

  花の色は移りにけりな、と詠んだのは小野小町です。年をとってくると、容色は衰えますし、たるんたるんになったお肉を前に、ため息の1つや2つは出てくるものです。

  私たちの地上の着物である、肉体は、永遠に続くことは出来ません。古びてくるのです。老いというのは、悲しい現実です。

  しかし、神の愛はこの絶望を喜びと期待へと変えて下さいました。クリスチャンには、朽ちない天上の体というのが用意されていると聖書には書かれています。

  私たちの人生は、3、40代をピークにして放物線を描いて落下するようなものではありません。イエス・キリストを信じ、永遠の命を受けたなら、グラフは、永遠の天を目指して、右肩上がりにのぼって、のぼりつめてゆきます。

  老いの目的は、永遠に向かっての備えにあります。地上の事柄はあとにして、永遠に生きるという目標に向かって、用意してゆかなければならないのです。

  さらに神と交わること、天という希望を確かなものとしてゆくこと、これらに忙しくなってゆくのが、クリスチャンの老後です。

  私たちはやがて朽ちてしまう人間ですが、イエス・キリストは永遠に朽ちないお方です。私たちがこの方を受け入れるならば、「死は勝利にのまれた。」という神の言葉が実現します。

  天の御国の門に立つという希望は、たといいくつであれ、あなたを美しく飾ってくれるに違いありません。

イスラエル北野

み声新聞2004年8月15日号(274号)」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)