ジレンマ

  愛しているのだけれど、つい口に出てしまう言葉は、強い言葉。相手を傷つけ、自分も傷ついてしまう毎日。そんな人生に心当たりはありませんか。

  なんとかもっと素直になりたい。愛したい。そう思って、努力するのだけれども出来ない。そんな自分にいらだつことはありませんか。

  夫婦間、親子間、恋人同士、悩んだり傷ついたりを繰り返していない人はいないことでしょう。

  その悩みに焦点を当ててゆく時、原罪ということに突き当たります。人は産まれながらの罪人なので、自分のしたいと思う善を行なう力がありません。人がよい人間だなんてとても言えやしません。私たちが知ってる通り、私たちの内側にはみにくさがあります。愛するのに愛せない、というのは、罪を持つ私たちのありのままの姿なのです。

  では私たちに望みはないのでしょうか。いいえ。カルバリの丘で、十字架にかかって下さったイエス・キリストの血潮を通して、私たちは罪からの解放を頂いたのです。

  イエスの愛は、傷をいやし、人を正しく愛することが出来るよう私たちを導いて下さいます。私たちがイエスと共にいるなら、イエスが与えて下さる言葉をもって、愛する人を祝福することが出来ます。

  イエス・キリストが必要でない人は1人もいません。あなたが心にお迎えしさえするなら、この方は来て、あなたをその全ての状況から救って下さいます。

イスラエル北野

み声新聞2004年10月24日号(284号)」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)