暗やみの支配する時

 北海道の雪事情があって、わが家はオフロード車を使っています。天井が開く仕掛けになっておりますので、時々ここから顔を出して風を受け星を見るのが子どもたちには楽しみとなっています。

  しかし、心配性の私は、早く車内に戻りなさいと連呼しています。実は何年も前にあった事故のことが心に残っているからです。

  その事故は、天井から顔を出したまま、車高ぎりぎりの高架下をくぐり抜けたというもので、あっという間に首が断裂し、子どもたち3名が亡くなってしまいました。

  運転していたお母さんの気持ちはいかばかりであったでしょう。半狂乱になったと聞いています。人生には、時にこういうブラックスポットとでも言うような、暗黒の時が訪れます。悔いても悔いてもどうしようもない望みのない真っ暗やみの中に立たされることが起こるのです。

  2千年前、ゴルゴダの丘で、イエス様が十字架につけられた時もこの暗黒が支配しました。多くの人が彼こそメシアではないかと思っていました。しかし、罪人とともに十字架につけられ、命を落とされたのです。これは一見サタンの勝利かのように見えます。

  しかし、イエス様は復活されました。望みのない暗い深い穴に落ちている人を救うため、キリストもまた、地の底にまで下らなければならなかったのです。しかし、3日目によみがえられ、今では天のご自身の座に着座されています。

  このイエスを、私は皆さんに救い主として紹介したいのです。イエス・キリストが、救えないような状況は何一つとしてありません。イエスの名を呼び助けを求めるなら、必ずどんな状況でも光が来、やみは退かざるを得ません。「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」聖書にこう書かれているのです。

イスラエル北野

み声新聞2004年11月28日号(289号)」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)