失敗は祝福の入り口

  聖書の中に、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」という教えが書かれています。この3つは1つのことを指していますが、特にすべての事について感謝しなさい、という勧めは、私たちに大きな益をもたらします。

  クリスチャンになってわかったのですが、神の大きな祝福というのは、しばしば、大きなミステイク(失敗)の後にやってきます。

  先日も、仕事で私は大失敗してしまいました。あの時こうしていたらよかった、こう言うべきであったと、何回頭の中で、反省会をしたことでしょう。あわや失敗に押し殺される所でした。

  けれども、教会を通して、すべてのことについて感謝しなさい。という教えを受けていたので、私は失敗を感謝してゆきました。祈りをささげ、失敗を感謝し、こういう状況にあってなお、より近くいてくださる神さまに喜びをささげました。

  するとどうでしょう。すべてのことは、私に学ばせるために、神が赦されたものであることがわかったのです。きっと神様は2度めのチャンスを下さることでしょう。そしてその時に、私は学んだことを生かせばよいのです。

  よく、世では失敗は成功の母と言われますが、クリスチャンにとって失敗は、それ自体でもう祝福です。ただし、1つのかぎを用いる必要があります。それはすべてのことを感謝するということです。感謝をしなければ、そのことが起こった意味も祝福も知らないで、ただ絶望感の中に置いて行かれます。

  あなたはどちらの人生を選びますか。イエス・キリストを信じて、すべてのことを感謝する人生を選びましょう。悔いはあなたを殺しますが、神は、すべてを益と変え私たちに勝利を現してくださるのです。

イスラエル北野

み声新聞2004年12月5日号(290号)」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)