感謝が導くもの

  イスラエルのキネレテの湖は、昔も今も変わることなく、穏やかな波を岸辺に寄せています。その波音を聞きながら、主に呼びかけることが、最上の喜びでした。

  ひとつひとつのことを祈りながら、いつしか熱を帯びて、「神さま、私にはこれが足りません。これもありません」と、ちょっと否定的な求めになってしまいました。

  すると、「ないないとなぜ言うのですか。あるものをひとつずつ私に感謝してきなさい。そうすれば私の道を知ることができます」と主に語られました。

  はっとして、あるものをひとつずつ感謝し始めた時、いかに豊かに自分が受けているのかということに気付かされたのです。

  私たちが忙しいときに、祈りも忙しくなり、勝手に言いたいことだけを言って、答えを待たないで行ってしまうことがよくあります。しかしそれは大きな損失です。

  私たちのことを1番よく知っている人は誰でしょう。自分自身だ、と多くの人が思っています。けれども、正解は、私たちを愛し私たちを造ってくださった神さまなのです。

  神さまが私たちに、はかってくださった人生に悪いものはありません。あるものをまず感謝してゆくときに、どんな状況下にあっても、感謝すべき多くのことが与えられていることに気が付きます。

  すべてのことについて感謝しなさい、という聖書の教えを心定めて実践してみましょう。どんな人生においても、その目に見えるところを超えて、祝福に満ちあふれた神の計画が備えられています。感謝の祈りはそれを開くことを覚えていただきたいと思います。
(編集部注:イスラエルのキネレテ湖は新約聖書でガリラヤ湖と呼ばれています)

イスラエル北野

み声新聞2004年12月12日号(291号)」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)