木と枝の関係

  皆さんは、ぶどうの木を見たことがありますか。一本の細くてしっかりとした土台の幹に幾方向にも向かって枝が伸びています。どんどん伸びるので、枝のために、棚を作ってやります。すると、棚の下に実がたわわに実るようになります。

  聖書では、イエス様がこんなことをおっしゃいました。「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。(中略)だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。」

  イエス様がぶどうの木で、私たちが枝だというのです。そして枝が木につながっているなら、実を結び、そうでないなら枯れ木として捨てられてしまうことを書いているのです。

  それでは、イエス様につながるというのはどういうことでしょうか。それは、まず、イエス・キリストの福音に心開いて、イエスは救い主であって、十字架での みわざは私のためであったと信じることです。

  十字架を信じることによって、私たち一本一本の枝は、キリストの木の本体につながります。そして木から養分をたくさん受けて、豊かに実を結ぶようになります。

  しかし、一匹狼で、木につながろうとしない枝の運命は、虚しいものになります。どこからも養分の配給がないので、枯れ、捨てられます。

  教会は、キリストをかしらとしたからだです。福音を信じた者なら誰でもこのからだの一部です。

  教会へ行き、キリストご自身につながり、幾倍にも実を結ぶことを神様は望んでおられます。

イスラエル北野

み声新聞2005年1月30日号(298号)」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)