勝ち組 負け組み

  今、流行(はや)っている言葉に、勝ち組負け組というのがあります。なんとなく高慢ちきな感じがして、この言葉は好きではありません。

  けれども、確かに今、いろんなところで、勝ち負けの線引きがなされています。

  40歳になって、まさかの結婚がなされたり、(女性誌ではこれを勝ち組入りだと大々的に報道していました)学校の学習面においても、勝ち組負け組が既にできており、学力の2極化が指摘されています。この2極化は、社会全体のいろんなところで進んできていることでしょう。

  皆が何とか勝ち組に残ろうとあくせくしています。また、そんな戦いにのりたくないと、あえて、底辺層に自分の居場所をかまえている者もいます。

  勝つっていうのは、どうなることを意味しているのでしょうか。それは1人ひとりにおいて異なるはずです。神さまは、深い知恵と愛情をもって、私たちをオンリーワンとして造って下さいました。神は、勝ち組負け組のレッテルで人を見ることをなさいません。むしろ、すべての人を勝ち組にしてくださるという約束が聖書に書かれています。

  「私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです」 というのがその約束です。

  私たちを愛してくださった方とは、神さまであり、またイエス・キリストです。イエス様はどんなに厳しい状況のなかにあっても神の力をはたらかせ、私たちに圧倒的な勝利を与えてくださいます。

  究極の勝ち組、それがイエスを信じる者の姿であり、また特権なのです。

イスラエル北野

み声新聞2005年2月6日号(299号)」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)