イエスの救い

  律法学者たちには気をつけなさいと、イエス様はよく弟子たちに教えられました。

  律法とは、全イスラエルと神様の間で結ばれた契約のことを言います。律法学者はそれを、ああしてはいけないだとか、こうするように定められているだとかと解釈をして、事細かにその教えを順守することを人々に要求していました。

  律法はその全てを守らなければ、救いに入ることができません。誰も全ての律法を守り行うことなど到底できません。

  ですから、イエス様は来られて、新しい契約を開いてくださいました。イエス・キリストの十字架での死と復活、それはわたしの救いのためであったと、ただ信じるだけで私たちは神に受け入れられ、神の子とされる特権を受けました。この救いは、何かの重荷を私たちに負わせることはなく、一方的な恵みとして与えられました。

  負えない重荷というのが、人の人生の中にはあります。あまりにも重くて担いきれない重荷に1人で涙することもあるでしょう。サタンもまたさらに重荷を負わせようとはたらきます。そして律法の量りで、できていないことを激しく責め立てるのです。

  人は生まれながらの罪人なので、サタンの支配の中におかれています。しかし、あなたがイエスを信じ、イエスを主として生きてゆかれるならば、サタンの支配から神の支配のもとに買い戻されます。これが十字架なのです。

  「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」
(コリント人への手紙第一1章18節)

イスラエル北野

み声新聞2005年5月8・15日 合併号(312号)」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)