期待する心


  悪霊につかれた息子をいやしていただこうと、イエスの元にやってきた父親がいました。この父親、方々手を尽くして治してくれる人を求めましたが、誰もこの父親の息子をいやすことはできませんでした。

  イエスのうわさを聞いて、父親はイエスの元にやって来ました。そして息子をいやしてくださるよう願います。

  「もし、おできになるものなら、私たちをあわれんで、お助けください」父親はこう言いました。

  「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです」間髪を入れずにイエスは答えられました。

  「信じます。不信仰な私をお助けください」父親は叫んで言いました。

  神様の生けるわざにあずかるには、信仰が必要です。しかし信仰といってもどこをどうやってひねり出せばよいのか見当がつかない、そう思っている方もおられると思います。

  まずは、期待する心を持つことです。私を救うために十字架までしのんでくださった主が、どうしてこの問題に関して働いてくださらないことがあろうか、と一歩踏み込んで、期待する心を持つのです。

  これがすなわち、信仰となるのです。

  神に何も期待しないというのは、大きな損失です。主は恵もうと待っておられると聖書には書いてあります。主に期待しましょう。その信頼は裏切られることがありません。

引用した聖書個所は、マルコの福音書9章22節ー24節。

イスラエル北野

み声新聞2005年5月29日号(314号)」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)