支払われた代価

  あるタイプの方々には、受け容れ難いことかも知れませんが、イエス・キリストを私の主としてお迎えするまでの間、私は占いの霊にはまってしまっていました。

  最初は単なる遊びでした。学友たちを驚かせてやろうと、タロットカードなどを読み始めました。すると、結構当たるのです。あっという間に、学校祭で占いの部屋をあてがわれ、無責任な言葉をより大きく広めることになってしまいました。

  占いは罪であるから、イエス・キリストを私の個人的な救い主と信じる決心をしたときから、悔い改め、カードも本も皆、処分してしまいました。

  しかし、長い間悪霊と共に居過ぎたため、止めても止めても、悪霊によるインスピレーションが働きます。そして、それはエスカレートして、ついに自殺を要求されるようになりました。

  私は牧師にこのことを話しました。すると、S(私)はいわば、サタンに3000万円の借金をしている様な状態である。サタンと契約したのだから、向こうも代金(死)を支払うよう言ってくる権利がある。Sは3000万を支払わなければならない。しかし学生だしそんなお金は持っていない。

  そこに、私が出ていって、3000万円を身代わりに払ってあげると、敵は、3000万さえ受けとればもう何も言えない。敵との契約は切れる。

  イエス・キリストは、あなたのために死んでくださいました。そう語られた時に、イエスの十字架のすべてがわかったのです。それは私の身代わりに、イエスさまが死んでくださったということです。

  サタンのくびきを打ち砕き、新しいいのちを生きるために、イエスは十字架にかかられました。私たちは代価をもって、神のもとに買い戻されたのです。キリストが支払われた代価を無駄にすることなく、神の子として、2度と同じくびきを負うことのないよう、十字架の恵みのうちを歩んで行きたいと思っています。

イスラエル北野

み声新聞2005年6月12日号(316号)」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)