私たちの教会において、虹は特別な意味合いを持っています。虹は神さまとの約束のしるしであり、神さまが私たちを祝福してくださっていることの確認でもあります。

  虹を見ることは、大きな喜びです。また神も、意味があるそのポイントをついて虹を出してくださるのです。それはそれは見事なものです。

  私も、海外宣教などにおいて、絶妙のタイミングで現れる虹を何回も見て、神をあがめ、畏(おそ)れ、喜びました。

  私たちの群れの中には、特別によく虹を見る人というのがいます。私は、どちらかといいますと、あまり見ないほうではないかと思っていました。

  しかし、6月17日の朝、私は手術を受けるために車に乗って、家を出ました。 しばらくすると娘が、「あ、虹が出ている」と大きな声を上げました。そして、 その虹は、私が入院する病院を覆うように真一文字にくっきりと現れたのです。

  それは、まさに私への虹でした。私は雀躍(じゃくやく)しました。私 のためにとりなしてくださった多くの方々の祈りによって、この祝福が起こされたのでしょう。人の励ましはそれはそれでうれしいものですが、それ以上にしるしによる神からの励ましを受けて、私はうれしくてうれしくてなりませんでした。

  多くの人が神はいないと思っています。しかし、神はいますし、ここまで具体的に働いてくださるのです。イエス・キリストの福音を信じ、あなたもぜひ神とともに歩む人生を選んでみませんか。

イスラエル北野

み声新聞2005年7月10日号(320号)」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)