先日、大通りを歩いていたら、ティッシュペーパーを配っていたおじさんがいました。向こう側に行けば、もっとプレゼントがありますから、と言うので、行きました。100円ばかりの巾着(きんちゃく)をもらいました。ここまでは路上ですが、ビルの中の店舗に行くよう誘われました。(行くだけでバスタオルをもらえるそうです。)
パッと人が分かれ、欲張りな私は店の方に向かおうとしていました。しかし2・3歩、歩いたときに、「危険だ。行ってはならない」という明確な聖霊のストップがありました。
引き返そうとすると、やさしそうなおじさんが急にやくざのように豹変(ひょうへん)し、舌打ちしながらにらみを込めてきました。
私は居所を知られたらマズイと、あっちへ寄り、こっちから出て、なんとか安全圏にたどりつきました。
あやうく、悪徳商法にかかわるところでした。昔から、タダほど高いものはない、と言いますが、本当です。また人は見分けておかなければなりません。やさしそうなおじさんがやくざだったり、世には詐欺師という人たちもいるのですから。
結局のところ、私たちというものは、甘い汁が好きなのです。タダ大好き、ほめことば大好き、得することが大好きで、その反対はがまんできなかったりします。
十字架にかかってくださったイエス・キリストの生涯は、それとは反対の、全くの無私な人生でした。病人をいやし、貧しさにとどまり、私たちを生かすために、ご自分を捨てて十字架まで忍ばれました。
聖書の中に、 「狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見い出せる者はまれです」 (マタイの福音書7章13節)とあります。
狭き門、それはキリストとともに歩む人生です。イエスを主と告白して、救いにあずかってゆきましょう。
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