聖霊の訪れ

 聖書の中に、使徒の働きという巻があります。その2章に、聖霊が、祈っていた皆の上に下られたという記述があります。

「すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった」 (使徒の働き2章3節)

  この時のこの出来事を境に、使徒たち弟子たちは大胆に、イエスとその十字架による救いを告げ知らせ、教会のたてあげが始まってゆくのです。

  20年前のある日、これに似た聖霊の訪れが、鳴門という四国の小さな町で起こりました。「主よ、お願いします。もう一度だけチャンスをください」そう祈って、徹底的に悔い改めをなし、夫の危篤を前に、神にすがる夫人の姿がありました。

  どれくらいの時間がたったでしょう。急に、天より大勢のものが満ちるようにやってきて、病室と病院全体を揺るがしました。ドーンと大きな音がしましたが、ああこれで大丈夫、助けが来たのだという確信が与えられました。

  食道静脈瘤の破裂で、出血が止まらなければ、命を失うところでしたが、神は、2人をあわれんでくださったのです。

  出血はまもなく治まりました。また、3人で手を置いて祈ったのですが、そのうちの1人の手を病人は決して放そうとはしませんでした。その手の置かれているところだけは、痛みがこないからです。

  神はこれらのことを、これから始まるリバイバルの前味として、見させてくださいました。私たちは、神が今も生きて働いておられることや、聖書に書いてあるように、いやしや奇跡があることの証人です。

  さらに大きな神のわざや栄光を私たちは見てゆくことでしょう。しかし、覚えていただきたいのです。神の栄光の現れのかげに、神にとりすがったものがいたことを。また、慈愛に富み、あわれみに満ちた主の真実を。私たちは捨て置かれるということがありません。頭をたれて低くされることが、聖霊さまの働かれる大きな基盤なのです。

イスラエル北野

み声新聞2005年9月4日号(327号) 」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)