主をほめたたえよ

 先日虹を見て、恵みを落としそうになっている自分に、はたと気づきました。私は、6月まで胆石症の患者でした。手術適応で、ベッド待ちをしていましたが、できれば手術ではなく、神のいやしを受けたいと思っていました。

  ですから、手術を受ける前において心は激しく葛藤し、手術に確信が持てずにいました。

  入院する日、神はその心に答えを下さいました。病院全体を覆う、太い一文字の虹が出たのです。主はともにおられる!これで、私の心も決まりました。手術し、こうして健康を取り戻すことができました。

  ところが、いやされて、まだ2、3カ月だというのに、また、虹をもってあれほど神さまのしるしを頂いたのにもかかわらず、思いのうちに、本当は手術しないほうが良かったんだ、とか、信仰に立たなかったからわざを見なかったんだ、という語りかけが入ってくるようになり、失望すら生まれてくるような状態になりました。

  これは、神さまのしてくださったことを感謝するということが不十分であったということとともに、サタンが、介在しています。

  サタンは巧妙です。神のことばをちょこっとずらすのです。疑いを持つようほんの少しのことばを注入すると、あとは私たちの不信仰によって、罪が実を結んでしまいます。

  私たちは生まれながらの罪人ですから、サタンの語る土壌に親しみやすいという部分がどうしても出てきます。不信仰や否定的思索というのがそれで、サタンが入れた考えも、自分がそう考えている、と無自覚に受け入れていることが多々あります。

  イエス・キリストは、サタンに勝利されたお方です。十字架の救いのみわざを成し遂げられることによって、死を持つサタンの暗闇の圧制から、私たちを救い出してくださった唯一の救い主です。

  十字架を信じ、主を信じましょう。イエスさまの与えてくださるのは、永遠のいのちです。サタンは敗れているのです。

「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、(中略)あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように、新しくなる」 (詩篇103篇2〜5節)

イスラエル北野

み声新聞2005年9月25日号(330号) 」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)