一粒の麦

  みなさんに、1つの聖書のみことばを紹介しましょう。

「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」 (ヨハネの福音書12章24節)

  私の家の引っ越しをしてくれたおじさんが、玄関に掲げたこのことばをずっと見ていました。70歳くらいの方です。いいことばだとたくさんほめて帰って行かれました。

  このみことばは、麦の一生について書かれているように読み取れますが、実はこの一粒の麦とは、イエス・キリストとその生涯について書かれているたとえです。

  もし、イエスさまが一粒の麦として、十字架の上で死んでくださらなかったら、私たちに救いはありません。イエスさまが十字架上で血を流され、死なれ、3日後に復活するという真実は、私たちキリスト者の信仰の土台です。

  イエスさまが死んでくださったから、また罪を贖い消し去ってくださったから、私たちは永遠のいのちを頂き、また私たちの永遠の家に、天の御国にあずかることができるのです。

  「一粒の麦」の教えは私たちの死生観を根本的に変えてしまいます。死は終わりでなく、永遠の世界に向けて蒔かれた一粒の麦となり、豊かな実を期待していくことができるのです。イエス・キリストにあって、私たちには死ぬこともまた祝福なのです。

  今、神さまは、区切りということを語られています。これもまた深い意味を持ちます。麦は死ななければただ一粒のままです。死ぬとはどういうことでしょうか。キリストの手の内に自分を置く、委ねるという姿が一番近い表現ではないかと思います。

  生きることを求道して、イエスに出会った私は、十字架によって死に、キリストの復活にあずかり、今や死に打ち勝つ希望に熱く燃やされています。

イスラエル北野

み声新聞2005年11月20日号(338号) 」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)