いと高き神のみ手

  19歳の時に、私は重い神経の病にかかりました。その1年前のクリスマスのころに、私はイエス・キリストを私の救い主と信じて救われていたところでした。

  毎日が学びで、毎日主を知り、うれしくてなりませんでした。この素晴らしい救いを何とかして伝えたい、こう切に願うようになりました。

「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」 (使徒の働き16章31節)

  神さまもまたこの聖書の個所を通して、確かに、家族が救われると約束してくださいました。

  ところが、わが家では、宗教は何であれ、ご法度だったのです。その親の目をぬすんで、キリスト教に入信するなど何事か。洗礼式など受けてみろ、勘当だ。そう通告されてしまいました。

  しかし、ここからが神さまのご計画の始まりでした。予期せぬ病によって、心の支えとなるならば、と主を信じることを大目に見てもらえることになりました。

  しかも、私の状態が悪く付き添いが必要であったので、母や妹が交代で、1日中ベットの横に付いてくれました。東京から送られてくる礼拝テープをむさぼるように聞いている私を見て、いつしか母も妹もクリスチャンになってしまいました。

  聖書の中に、使徒パウロが、神さまの使命によって、エルサレムだけでなく、ローマにまで行って主を証ししなければならないという新たな召しを受けた時、パウロはどういう方法を通してそれが成し遂げられるかを知りませんでした。

  パウロは、エルサレムから、囚人として、ローマに護送されたのです。これがいと高き方のみこころでした。囚人となったおかげで警備隊の護衛を受けますし、あちこちに引き出されては、キリストを述べる機会となりました。外見的には、決して望まぬ道ですが、この神さまの方法こそが最善であり、そこに身を置いたことで多くの収穫がありました。

  神さまは必ず約束を守ってくださいます。しかし、その成就の仕方は私たち肉にあるものの思いを超えたやり方であることが多いのです。

  神さまは私には病気を、パウロには冤罪(えんざい)を量り与えてくださいました。人間的には喜ぶことのできないこれら弱さの中で、主は働きを始められたのです。

  どうぞキリストを信じ、苦難と患難を感謝してください。そこに思いもかけない神の計画が備えられています。

イスラエル北野

み声新聞2005年12月4日号(340号) 」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)