神の量り

  ある時、ドライブをしていたところ、はかり屋さんを見かけたことがあります。量りには絶対的な基準というものが必要です。そういった基準となる量りをその店は置いていたのです。

  これを見て、興味深いな、と思いました。小麦を量る量りがあるなら人間を量る量りだってあるのではないでしょうか。また、そうなれば量りの基準点となる人というのは誰でしょう。

  聖書を読んでゆくと、イエス・キリストがその方として紹介されています。イエスさまは、完全な神であると同時に完全な人でもあります。イエスに照らし合わせてみて、はじめて自分がどういう人間であるのかが分かるのです。

  いにしえのパリサイ人やサドカイ人は、人間を量る定規として、神からの律法という量りに仕えてきました。しかし、何千年という時が流れてなお、誰一人としてその目盛りを満たすことができませんでした。律法のすべてを守れる人は一人もいなかったのです。

  わたしは良き牧者であると語られたイエスさまの量りは、律法ではなく恵みを基盤としたものです。どんな底辺にいようが、主の手は働きます。イエス・キリストは、十字架の上で、私たちの罪の身代わりとして死に、私たちを生かすためによみがえられました。このイエスを自分の救い主として、信じ告白すること、そこに救いがあり、律法をはるかに凌駕(りょうが)する新しい量りが、打ち立てられたのです。キリストの量りは十字架そのものです。イエスを信じる者はもはや罪に定められることがありません。

  十字架によって、主がありのままのあなたを受け取ってくださったように、私たちも恵みの量りでその人を量ってあげましょう。

「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです」 (マタイの福音書7章1、2節)こう聖書にも記されています。善を愛し、人と和合し、キリストの香りを放ってまいりましょう。

イスラエル北野

み声新聞2005年12月25日号(343号) 」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)