主がなさるのでなければ

  最近立て続けに起こった女子児童誘拐ならびに殺人事件に、2人の娘を持つ母親として、言い知れぬ恐さを感じています。

  いつ、自分の娘も同じような目に遭うかもしれない、とやはり考えてしまいます。そして、娘さんを亡くされたご遺族の方々の、ご心痛はいかばかりかと、ことばもありません。

  あれから毎朝、夫が通学路に立つようになりました。子どもたちと合流する道まで、しっかりと見届けています。GPS付きの携帯を持たせたり、「こども110番」の旗が立っている、駆け込み用の家が増えたりしました。しかし、どれも子どもが完全に守られるという保障はない、というところが私たちの不安を完全に断ち切れないものとしています。

  聖書には次のような詩があります。 「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。主が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなしい」 (詩篇 127篇1節)

  私たちが、家を建てたり、町を守ったりすることは、それはそれなりに意味のあることですが、そこに神の手が置かれていなければ、その人的努力もむなしいものである、というのです。

  あなたの愛する人たちを、あなたは守っていますが、人間ですから、おのずから限界というものがあります。しかし、神に頼るなら、あなたがしようとするその先に神は必要な備えをもって守っていてくださるのです。

  あなたもあなたの家族も、今日、イエス・キリストを信じませんか。イエスさまの十字架の贖いを信じ、また復活を信じ、イエスを主と告白し、あなたの心にお迎えください。

  私たちを守ってくださる神を知っていることこそが、何よりの問題解決となります。私もまた、神の手に子どもをお委ねすることによって日々救われているのです。ホームセキュリティーに加入するのも手ですが、神が守ってくださらなければ、これもまたむなしいものなのです。

「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです」 (ペテロの手紙第一5章7節)

イスラエル北野

み声新聞2006年1月1日号(344号) 」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)