さばいてはいけません

  昨日のニュースで、3年後に裁判員制度を導入することが伝えられました。インタビューでは、このことに積極的な人が多いようでしたが、1人だけ「人を裁くことなんか、おれなんかとてもできやしないよ」と語った人が印象的でした。

  私は裁判員制度の是非について語るつもりはありません。司法制度の重要性も認識しております。では聖書ではどうだったでしょうか。1人の女性の裁きをお話ししましょう。(ヨハネの福音書8章参照)

  ある時、イエスのもとにパリサイ人や律法学者が、姦淫の場で捕らえられた女を引き出してきました。彼らは言いました。 「モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか」

  彼らはイエスを試すためにこういう質問をしたのです。イエスさまはその質問にお答えにならず、身をかがめて、指で地面に書いておられました。しかし、彼らは問い続けてやめなかったので、イエスは身を起こして、言われました。

「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい」

  するとどうでしょう。年長者から始めて、ひとりひとり出て行き、イエスがひとり残されました。イエスは、女に 「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません」 。そう語ってくださったのです。

  冒頭で扱った男性の言うように、私たち罪人に罪を裁くことなど本来できるわけがありません。それができる方とは、天の父なる神さまであり、この方以外にありません。終わりの日には、私たちはひとりひとりこの方の前に立ち、審判を受けるのです。この方を恐れなければなりません。

  ですから、イエスは、私たちにこう教えられました。

「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです」 (マタイの福音書7章1、2節)

  姦淫の女や遊女、収税人など人々に嫌われている人々を進んでイエスは、お迎えになられました。

「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです」 (マルコの福音書2章17節)と語られた通りです。イエスが血を流されたあの十字架は、あなたの罪を赦し、あなたを救うためであったのです。

イスラエル北野

み声新聞2006年2月5日号(348号) 」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)