遅くはない

  毎週のようにこの欄を読んでくださる方に、80歳ぐらいのご老人がおられます。先祖から代々まつられている神棚を設置し、それに仕え、さらに仏壇を持ち、四国八十八カ所の霊験により頼む方です。

  偶像礼拝は、神が最も忌み嫌う罪の1つです。偶像には霊的縛りがありますから、悔い改めて、イエス・キリストの十字架を信じて霊を断ち切り、強く神の側に立ち続けることが必要です。キリストの福音はあらゆる面であなたを救いに導いてくださるからです。

  「もう、遅いかも」。ある時、このような言葉がご老人から出たと聞きました。

  確かに、80歳を越え、病を持ち、日々のことで手一杯で、いまさらキリストのもとに帰れるだろうかと思案されているのでしょう。

  ハレルヤ。そう思った今が、あなたの救いの時なのです。何も煩うことなく、すべてはイエスさまにお任せしましょう。

  聖書に次のような1節があるのをご存知でしょうか。

「イスラエルよ。もし帰るのなら、―主の御告げ。―わたしのところに帰って来い。もし、あなたが忌むべき物をわたしの前から除くなら、あなたは迷うことはない」 (エレミヤ書4章1節)

  偶像と手を切ることを、私は皆さんにお勧めします。病も死も背後のサタンの縛りがあります。しかし、イエス・キリストの内には喜びと平安があります。

  あなたは、死後のことを考えたことはありますか。イエスを信じる人は、パラダイスに、そうでない人は、ハデスに行くのです。

  私たちのいのちは、神のものです。そして神はすべての人が悔い改めて、帰ってくることを待っておられます。

  救いに年齢制限などありません。神は戻れと語ってくださっているのです。帰りましょう。すべての重荷を解きほどき、神の安息に入りましょう。

イスラエル北野

み声新聞2006年2月12日号(349号) 」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)