よみがえりの希望

  イエス・キリストが十字架によって勝ち取られたものは、圧倒的な勝利でした。聖書にも、 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか」 (コリント人への手紙第一15章55節)と書かれています。イエスはサタンの死の力を滅ぼして、よみがえりを果たされたのです。

  それは、聖書の中にあるキリストの予告通りの成就でした。死と復活をもって、この方が約束の救い主であることが明らかになった今、天国の門は大きく開いています。

  どうすれば、よみがえりのいのちを手にできるのか、だれもがその方法を知りたいと思うでしょう。

  それは、イエス・キリストを自分の救い主と信じ、罪を悔い改め、十字架の贖いとキリストの復活を信じ、神の子としての人生を歩み始めることです。そのことによって、天の祝福を受け、私たちは神の子として永遠に生きるのです。

  聖書のコリント人への手紙第一の15章をお開きください。イエスが死を滅ぼされたことによって、私たちに与えられた復活の恵みをご紹介しましょう。

「死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、(中略)血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。(中略)朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです」 (コリント人への手紙第一15章42、44、53節)

  ここで書かれている、朽ちるもの、血肉のからだと記されているのはありのままの私たちの姿です。しかし、イエスの恵みによってそれらは天に向かって蒔かれ、すべては朽ちないものに、また御霊のからだへと変えられていくという約束が書かれています。

  イエスを信じなければ、死の前に私たちは無力です。むなしく自分1人の死を迎えるだけですが、イエスにあって死ぬものは、朽ちるものから、朽ちないものへのよみがえりが約束されています。死は、私たちを、世のものから天のものへと橋渡しをしてくれるのではないでしょうか。イエスによるなら、死までが神の祝福の道具として用いられているように思います。

  復活の望みが私たちにはあります。この望みに入れるようあなたもイエスを信じましょう。

イスラエル北野

み声新聞2006年2月19日号(350号) 」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)