あすの心配

  無くて七癖、といいますが、私はなくしものの女王です。大事なものだから、特別な所にしまっておこうと収めては、次にはそれがどこにしまっておいたのかを忘れます。

  ここ2、3カ月の間は通帳がそれでした。キャッシュカードを持ってさえいればたいがいの事は済みますから気づきませんでしたが、通帳の記帳をする用事ができたので、いざ通帳は?とくると、どこに置いたのかさっぱり分からないのです。

  家中くまなく探しました。通帳の再発行には1000円かかるので、これを懸賞金として、子どもたちと、家中さらに洗い直しましたが、ありません。

  結果は、お父さんが、お母さんはなくすからといって、手元に持っていてくれたのでした。がっくりきましたが、実はこれが、神さまの大きな恵みの備えとなりました。

  皆さん、今年は台所事情がひとしお厳しいのではないでしょうか。わが家もまたご多分に漏れず生活は厳しいです。その中で祈ってくださったり、ささげてくださる方々によって助けられ、支えられてきています。感謝に堪えません。

  ある時、もう何のあてもないような状況を迎えましたが、突然また恒例の、物をなくす癖が始まり、家探しして、そこで何と、へそくり?を発見したのです。今まで何回もチェックをして、家にはお金が全然なかったはずが、あったのです。

  これは使っていいのか、また使えるようなお札だろうか、と思案しましたが、差し迫った必要がありましたので使いました。何の問題もありませんでした。しかし、私はへそくりをした記憶がないので、後で私がこのお金を貯めましたという誰かさんが、出てくるのが恐いです。


  聖書の中に、 「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのもの(衣食住など)はすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります」 (マタイの福音書6章33、34節)という約束があります。主は、確かにその通りに、私をあしらってくださいました。心配とあすのことは主に委ねて、今、この日1日、主を求めてゆきましょう。

イスラエル北野

み声新聞2006年3月5日号(352号) 」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)