感謝のススメ

  クリスチャン人生も25年ともなると、巻物を広げたように、自分の人生の歩みが見えてくるものです。

  そして、教会で教えられている通り、悪い事が起こるときには、必ずその後に神さまの大きな祝福がやってくるのを身をもって体験しました。

  病気で倒れたときは、洗礼式の直前でした。ひと月も入院していれば大丈夫だろうと高をくくっていましたが、そんな甘いものではなく、回復のめどが付くまで2年半かかりました。私は働きから落ちたと思っていたのですが、その私を用いてくださり、家族や友人がたくさん救われました。

  一番、困難を極めていたのは、父との確執でした。父は、徹底して、キリスト教を否定し、私の壁となって、私の前に出現しました。この父がいなければ、迫害がなければ、私は強烈に主を選び取ることができなかったのではないかと思います。

  教会に行ってはいけない、そう強く言われたので、いよいよ私は熱心に教会につながりました。救いや教義に対しても父に答えるために、真理について求めました。そして、イエス・キリスト以外には何者であろうと、真の救いはないと確信して今に至るのです。

  見方が変わるとこうも大きな違いとなるのでしょうか。父との確執さえ用いて、主は祝福の計画を進めてくださっていたのです。もちろん父もその後救われ、今ではもう壁はありません。しかし信仰生活の基盤を確立するときに、あのような壁があったことは、祝福だったと思っています。

  これらのことを、私は神に感謝する中で教えられたのです。感謝することは大きな恵みです。特に感謝できないと思っている事柄のうちに実は豊かな恵みがあるのです。

  それは、神さまの道が私たちの思いを超えて、はるかに高いからです。ですから私たちはどんな逆境にあっても感謝しましょう。そして、この神に信頼することができるように。また、イエスを救い主として信じておられない方はイエスを信じましょう。十字架によって、サタンがなした災いを、主は祝福に変えられます。

「私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です」 (ヨハネの手紙第一5章4節)

イスラエル北野

み声新聞2006年3月26日号(355号) 」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)