主軸

  20歳を過ぎたら、時の流れるスピードが速く感じるとよく言われます。まさに実感で、やり残した事に後ろ髪引かれる思いを抱きつつ、どんどん新しい毎日を進めていかなければなりません。

  このところ、2人の娘の2つの卒業式を抱えて、家庭内が混乱していました。どんな服を着せようか、受験の合格発表はどう出るだろうか、入学金の工面はどうするか、などなど、さまざまな心配事がありました。

  すべてのことについて感謝しましたが、こうなるとまったく世の人で、心配を大きく膨らませてしまいました。そんな私に語りかけてくるマタイの福音書の6章の一部を皆さんに紹介したいと思います。

「なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。(略)そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。(略)あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります」 (マタイの福音書6章28〜34節)

  神の国とその義をまず第一に求めるということは、神さまとの正しい関係の中に立ち、そして、神に従いなさい、ということです。すべてのことにおいて、まず神を認めることがこれに付随してきます。

  神を中心にしていなければ、家庭はその雑務の多さによって、つぶれてしまう、ということを味わわさせられました。皆さん方の仕事においても同様でしょう。けれども神を第一にし、委ねることで、神の助けを受けることができます。神は私たちを恵みによって立たせてくださいます。

  神を第一にすることによって人生の主軸が確立します。神の無い人生とさよらなして、あなたもイエスを信じ、神に聞き従いましょう。神に信頼するものに対する豊かな神のお計らいがそこにはあるからです。

イスラエル北野

み声新聞2006年4月2日号(356号) 」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)