神による祝福

  本当に、神さまは真実な方です。先週、この「ばいぶる」のコーナーで、 「何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい」 (マタイの福音書6章31節)という聖書のことばが心に響いてきた事をお証ししました。

  実は私、この1週の間、このことばを実践して、徹底的に祝されました。似合わないから、とかサイズが合わないから、といって、着ないきれいな洋服をスーツケース1個分頂きました。太い私に合うような服はめったにないのですが、あふれるばかりに備えられていました。

  また父の記念会で帰郷しましたが、「何を食べるか」、という点でも、神さまの祝福は豊かでした。地の物のお魚や、春一番のわかめ、めかぶ、もずく、ちりめん等の懐かしい品々や、会席料理に焼き肉と、こちらも想像を超えた祝福にあずかりました。

  一体、何だからといって、神さまはこのように私たちを祝福してくださるのでしょうか。受ける価値のないものが、神の祝福を受けています。これがまさしく「恵み」というものでしょう。

  感謝以上の感謝を主におささげしたいと思います。

  神は死んだ、と哲学者たちは言います。また私たちもそう教えられてきました。しかし、これはとんでもない誤りです。神さまは今も現実の方として生きておられます。

  私と歩幅を合わせて歩んでくださり、時が来たときには、あふれるばかりの祝福を開いてくださいます。娘たちの入学式前の私の小さな心の重荷を取り除いてくださり、心を喜びで満たしてくださいました。

  こんなにもリアルに、また豊かに、神さまは私たちを祝福してくださるのです。

  イエス・キリストを信じましょう。イエスは十字架上で流された血潮をもって、私たちが神の子とされるよう、救いを与えてくださいました。また天の父なる神さまは、私たちを恵もうと待っておられるということが聖書には書かれています。あなたもキリストを信じ神の子となりましょう。必ず神のスケールの違う祝福を見、体験してゆくようになります。神の祝福に応答していきましょう。

イスラエル北野

み声新聞2006年4月9日号(357号) 」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)