信頼

  私は無職の主婦ですから、一般でいう勤務評定を受ける機会はありませんが、人生というのはよくできているもので、ちゃんとこの私も、神の勤務評定を頂きます。

  どういうふうになされるのでしょうか。飛行機です。動き出したら、もうほふり場に引かれていく子羊の心境です。滑走路を一気に走り抜け、離陸となると、恐くて血の気が引いてしまいます。

  考えることといえば、今ここで死ぬようなことになっても大丈夫か、自問自答がなされます。神の御前になすべき事は果たし終えたかと心を探られます。

  結果、まだ神さまの使命を十分に果たしていない、これからだ、というところに落ち着きました。けれども、飛行機が着陸するまで、気が休まるところがありません。少し揺れるだけで、もう熱烈に祈ります。

  感謝をし始め、祈っていく中で、私に必要なもの、神さまが与えようとしてくださっているものが分かりました。

  神に信頼することです。信頼、これに勝るものはありません。今の状況の中で、信頼をささげていくことに主のみこころがあると感じました。

  「神さま、あなたがこの状況を許しておられますから感謝します。私はこの中にあっても、あなたに信頼いたします。手を上げ、私は礼拝します。感謝します」と心を神に信頼する方に傾けていきました。

  たとい、何があっても、主に信頼する。そう考えるようになったら、いつしか、心の大暴風雨は過ぎ去って行ったのです。

  神への全き信頼は、神のわざを見る土台となります。神が働かれる管ともなるのです。ダニエル書には、ダニエルが、飢えた獅子の穴に投げ込まれましたが、助け出されるという奇跡を見ました。聖書はそれを 「彼が神に信頼していたからである」 (ダニエル書6章23節)と記しています。

  神に信頼するためには、そのひとり子イエスを自らの救い主と信じることから始めましょう。「イエスさま、助けてください」。こんな小さな祈りをも、神は地に落とすことをなさいません。

「神に信頼する者は、失望させられることがない」 (ローマ人への手紙9章33節)。聖書にはこう書かれています。このことばを信じてみませんか。

イスラエル北野

み声新聞2006年4月16日号(358号) 」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)