神は愛です

  愛されているっていう実感はありますか。また、あなたを愛してくれる人はいますか。愛とは、どういうものと考えていますか。

  先日、お医者から、矢継ぎ早に質問を受けました。今なら、余裕をもって答えることができますが、急に伝道しようと思い立ってしまったので、しどろもどろの答えになって、ガックリきました。

  イエス・キリストを私の救い主として受け入れる前の私は、おりの中に縛られていた野の獣のようでした。

  愛などかっこ悪い。神さまが何をしてくれたんだ、と神に反抗し、死や滅びのことばかりを考えていました。当然、神さまの厳しい御手が置かれました。

  旧約聖書にダニエル書という預言書があります。そこにネブカデネザルという王が出てきますが、ネブカデネザルはあの有名な大バビロンを治めた大王でした(4章)。しかし、彼には、高慢という罪があり、それを知らせるために、人間の中から追い出され、野の獣とともに7つの時が過ぎるまで、獣のように過ごしたという記載があります。

  神の語られた7つの時が過ぎると、ネブカデネザル王には理性が戻ってきて、王はまず主をたたえました。バビロンの王国は以前に増して大いなるものとなりました。

  私においても、罪を悔い改めることで、十字架を信じ、イエス・キリストの救いを受けました。

  あんなに悪口を言っていたのに、ずうずうしいと思います。が、神は喜んで私たちを祝福してくださり、天に迎えてくださいます。

  イエス・キリストは、罪人を救うために来られたというのはまことのことです。私たちは、自分の罪の1つでも、自分ではどうすることもできません。しかし、イエスさまは、十字架で流された血潮のゆえに、救いを授け、いやしを授け、罪からの解放を与えられるのです。

  私は罪など犯していないという人は、目に覆いが掛かっています。

  人は、愛されることによって、自分が生きている意義を見いだします。どんなに豊かな生活をしていてもイエスの十字架を知らないなら、愛はその人からスルリと抜けるでしょう。

  神は愛です。その方の愛を知るなら、あなたの人生は圧倒的な勝利となるでしょう。

イスラエル北野

み声新聞2006年5月14日号(362号) 」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)