プチ整形

  私の大学時代の友人にYさんがいます。Yさんはぽっちゃりして、やや太めのところもあり、かわいい方です。なのにいつも口を開くと「私はブスだから駄目よ」それ一辺倒でした。

  そのYさんに、卒業式前に偶然に会いました。なんか感じが違うなぁ、と思っていたら、プチ整形をしたのだそうです。いわゆる美容整形です。近年、プチ整形の呼び名が定着するのと並行して、ぐんぐんと美容整形は身近なものになってきています。いわゆるお化粧の一つとして整形を行う人が多いのです。

  Yさんは卒業祝いに、車を持つか、整形をするか、と問われた時に整形を選んだのです。確かに、ぽっちゃりしたまぶたに切れができ、きれいな二重になっています。

  これで、誰も知らない所へ行って、就職して新しい生活を始めようと彼女は言いました。彼女は人生をリセットしたかったのです。

  外見を良くすることは、Yさんの例を待つことなく簡単にできるようになりました。けれども、心は、心までは、手術によってしても簡単に変えられるものではありません。確かに一時期違う「私」を体験し、喜んでいたにしろ、やがて10年もたつと老いは、平等に私たちを訪ねてやって来るのです。

  地上のものは、すべてやがてはちりに返ってしまいます。永遠に存在し、私たちの主である、イエス・キリストが与えてくださるものは、こんなものではありません。

  私はYさんにイエス・キリストという選択肢があることを伝えていませんでした。

  イエス・キリストを信じることでこそ、本当の意味において人生の一大リセットがなされます。罪人の私たちですが、神はイエス・キリストの十字架によって、私たちが神の子となる特権を与えてくださったからです。

  聖書の次の個所をお読みください。

「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」 (コリント人への手紙第二5章17節)

  すべてが新しくなったと語られた今、今までと同じように見えていても、違う何かが始まっています。イエスさまはあなたのことをまたYさんのことを、ありのままで受け取ってくださいます。イエスさまを信じ、その救いを受け入れましょう。

  神を喜びとして主とともに歩むこと、この人生に勝る生き方はないと思います。

  神の前に美しさを置くのではなく、美しさの前に神を置いた時に、何が美しさなのかが、初めて分かるのです。

「麗しさはいつわり。美しさはむなしい。しかし、主を恐れる女はほめたたえられる」 (箴言31章30節)

イスラエル北野

み声新聞2006年6月4日号(365号) 」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)