礎の石

  聖書の中に、次のようなことばがあります。

『家を建てる者たちの見捨てた石、それが礎の石となった』 (ルカの福音書20章17節)

  これは、イエスさまのことを書かれた1節です。しかし私たちにも当てはまることばです。

  イエスは王として来られるはずの方で、神のことば通りに、時至ってこの世に遣わされました。しかし、律法学者や祭司長たちは、イエスを認めませんでした。イザヤ書では、 「彼には(略)私たちが慕うような見ばえもない」 (53章2節)とありますから、本当に主を待ち望む者以外にとっては、イエスはつまずきであり、見捨てられた石でした。

  しかしその捨てられた石が、礎の石となったと聖書は書いているのです。神の働きの基盤として、神は、捨てられた石を選ばれたのです。

  神は私たちを救うために、イエスさまを地上に送り、十字架につけ、3日目によみがえらせになりました。ここに福音の扉が開かれました。

  それゆえ、たとえ私たちが世の人々から見捨てられるようなことがあったとしても、神は私たちを勝利者としてまた礎の石として、用いることがおできになるのです。神を求め、イエスを信じましょう。

イスラエル北野

み声新聞2006年6月18日号(367号) 」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)