神の慰め

  ある本で読んだのですが、病気には3つの苦しみがあるというのです。

  1つは、その病気が不治の病であり回復が見込めない場合、2つ目は、病気にかかっていてもお金の心配をしなければならないこと、3つ目は、その病を共に分かち合い共に戦ってくれる人のいない苦しみだというのです。

  病気にかかわるこれらの苦しみは、病気そのものよりはるかに苦しい、といえます。私も多くの入院をしました。聖書の箴言に、 「人の心は病苦をも忍ぶ。しかし、ひしがれた心にだれが耐えるだろうか」 (18章14節)という一節があります。私は心がかつかつで、どうしようもない渇きが内にありました。しかし、イエス・キリストが私を満たし、私は安息を得ました。

  イエスの来臨は、私たちが罪を悔い改め、神に立ち返るための、神のあがないを打ち立てるものでした。

  その宣教の中で、いろいろな神のわざをなさっていましたが、特に、病人をいやされるという働きを常になさっていました。聖書に 「彼の打ち傷によって、私たちはいやされた」 (イザヤ53章5節)とあります。イエスさまは傷を受け、流されたその血潮によって、私たちを病からもあがない出し、いやしてくださるのです。

  病をはじめとして、人生には自分の思うようにはならないことが山ほどあります。

  イエスさまを信じ、受け入れましょう。イエス・キリストをあなたの心に受け入れるとき、あなたはすべての問題の解決を見、また、前述の病気の3つの苦しみの中にも必ず、神の助けと慰めとをみることができるでしょう。

イスラエル北野

み声新聞2006年7月2日号(369号) 」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)