労務者のたとえ

  マタイによる福音書の20章に、労務者のたとえ、というお話が出てきます。

  ぶどう園の主人が、1日1デナリの約束で労務者を雇い、園にやりました。

  9時ごろ、ぶらぶらしている人がいたので彼らも、相当なものをあげるから、と約束し、ぶどう園に送りました。

  12時ごろと3時ごろにも同様のことがなされました。そして、5時ごろに立っている人に、あなたもぶどう園に行きなさいと言いました。

  夕方になって、最後に来た者たちから順に賃金を払ってやりなさい、と言われ、5時からの者から順に1デナリを頂きました。最初の者たちはもっと多くもらえると期待しましたが、彼らも1デナリでした。

  当然、ブーイングが起こるでしょう。なぜ神さまはこのようなたとえを聖書に残しておられるのでしょうか。

  それは私たちのためにです。5時になってなおぶらついている男を、神は愛しておられたのです。その男だけではなくすべての人を平等に神は愛しておられるのです。

  自分の人生は失敗だ。何の望みもない。そうつぶやくあなたにこそ、このたとえは意味があるのです。

  神はあなたを呼んでおられます。1デナリの約束は変わりません。やり直せるのです。イエス・キリストを信じましょう。

イスラエル北野

み声新聞2006年7月16日号(371号) 」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)