ともにいてくださる方

  誰もが、自分が死んだ時は、どのような死に方をするだろうかと、考えたことがあるでしょう。

  私たちの教会のTさんの奥様は、亡くなる時に、うれしそうに異言で何かしゃべられて、召されたと聞きます。

  また、ハドソン・テーラーは、先に天に召されている兄弟姉妹の名前を呼びながら召されていきました。

  フィリピンで殉教したジャッキーさんは、銃弾を受けながらも20分間賛美して主のもとに引き上げられました。

  皆さん。死は恐ろしいものではないのです。もしあなたが、イエス・キリストを信じているなら、主があなたとともにいてくださるからです。

  ダビデもまたこう告白してやみません。

「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから」 (詩篇23篇4節)

  死は、サタンが出す究極のカードです。トランプで言えばジョーカーでしょうか。しかし、イエス・キリストが世に来られ、十字架の血によるあがないと復活とによって打ち立ててくださった永遠のいのちはどんなカードやのろいも力ないものとするのです。やがては私も死を迎えるでしょう。しかし、希望があるのです。これは救いを頂いているからだと思います。

  私たちクリスチャンが死ぬのは、もはや死も滅びもない、永遠のいのちにバトンタッチするためです。

「朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです」 (コリント人への手紙第一15章53節)聖書はこのように説明しています。

  朽ちぬいのちを受けるためにイエス・キリストをあなたの心の主としてお迎えください。十字架によって主はあなたに勝利を現してくださいます。

イスラエル北野

み声新聞2006年7月30日号(373号) 」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)