放蕩息子

  聖書のルカの福音書( 章)に、放蕩息子のお話が出てきます。

  息子は、兄と弟の二人でしたが、将来相続するはずの身代を分けてくれ、と弟が申し出たので、父は財産を分けてやりました。

  弟は、遠くへ行き、湯水のように財産を使い、あっという間に、食べるに事欠くような状態になりました。彼は、ある人の元に身を寄せ、そこで豚の世話をしていましたが、豚が食べるその豆で空腹を満たしたいほど飢えていました。なのに、誰一人として彼に与えようとはしませんでした。

  われに返った時、父の所にはパンのあり余っている雇い人が大勢いるのを思い出し、雇い人の1人としてもらおうと、父の元に行く決心をしました。

  父の所までは遠かったにもかかわらず、父はやって来て彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけしました。彼は今までの罪の一切を悔い改めました。父は、一番良い着物を着せ、指輪をはめさせ、この息子は死んでいたのが生き返ったのだからと言って祝宴まで開きました。使用人ではなく大切な息子として彼は受け入れられたのです。

  父とは、天の父なる神さまのことを言っています。そして、放蕩息子とはわれわれのことを指しているのです。

  天の父は、私たちを愛してくださっています。私たちが子とされるために、イエス・キリストを送ってくださいました。このイエスに立ち返るように、今日も主は、あなたを慈愛をもって見つめておられます。

イスラエル北野

み声新聞2006年9月10日号(379号) 」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)