幻を持つ人生

  聖書の中に、ソロモンが書いた箴言が掲載されています。その中の1つを紹介しましょう。

  「幻がなければ、民はほしいままにふるまう」(箴言29章18節)というものです。

  幻がなければ、耐えるということもありません。目的もなく、砂をかむようなむなしさにとらわれます。高校野球では、甲子園出場を目指していた高校もあれば、甲子園での優勝を目指しているチームもありました。

  幻が高ければ高いほど、それを達成するための努力や忍耐を必要としますが、それもまた喜びとなって返ってくるのです。

  かたや、何も幻を持たない人や、持てない人がいますが、その方にも神は実は大きな計画を用意してくださっているのです。

  皆さんは神に愛されているが故に、この世に誕生してきました。この世におけるご自身の使命や神の計画が、誰一人例外なくあるのです。

  イエス・キリストは十字架で私たちの罪をあがない、私たちを子とされるために、いのちを捨てられ、救いの道を開かれました。そして、この救いが確かなものであることのしるしとして、復活し、今は天におられ、神の右の座におられます。

  あなたがイエスを知り、この方をご自分の救い主と信じることによって、人生は動き始めます。そして、あなたがまさに必要とされる働きへと、主はあなたの道を導いてくださいます。

  確かに、つらいこと、困難、艱難が許されますが、しかし、その後に、必ず大きな喜びが約束されているのです。主イエスを信じましょう。

イスラエル北野

み声新聞2006年10月1日号(382号) 」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)