原罪

 先週に引き続き、子どもの自殺といじめに関して、論議されています。自殺の背景にいじめがあったこと、それに耐えかねて死を選ぶことなどが遺書にはっきりと書かれています。年の端の行かない子どもが、どんな気持ちで、この遺書を書いたのか、それを思えば思うほど哀れで、胸が張り裂けんばかりの悲しみを覚えます。

  そして、死。たった一人であの世に向かいました。

  イエス・キリストが十字架で死んでくださって、またよみがえってくださったのは、ご自身のいのちを代価に、私たちを死から取り戻し、永遠のいのちを下さるためでした。

  イエスさまが死んでくださったほどにかけがえのない命を奪うのは誰でしょう。

  それは、サタンです。うそ偽りで固めてきて、最後には自分で死を選ぶよう仕向けます。

  私にもかつて同じような時がありました。小学生のころですが、靴を捨てられたり、チビと呼ばれ、集中していじめを受けました。たまたま、得意とする分野があったため、押し返すことができましたが、陰湿で嫌なものでした。

  時々子どもに罪は無いと言われる方がおられますが、それは見誤りです。人類には原罪が入っているので、誰一人として例外なく生まれつきの罪人です。大人も子どもも関係なく、罪人であり、いじめをなし、サタンに餌を与えてしまうことを行ってしまいます。

  それでは、私たちの救いはどこにあるのでしょう。十字架を見上げてください。ここに愛があり、救いがあります。イエスをあなたの個人的な救い主と信じ、すべての事柄を感謝して、神とともに歩む人生を行きましょう。

イスラエル北野

み声新聞2006年11月5日号(387号) 」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)